百人一首も含めて和歌が好きです。
文字を読むだけですが、リズムが取れる歌が多いですし言葉の意味が分かりさえすれば細かい文法がわからなくても情景が思い浮かぶからです。
百人一首を選んだ藤原定家(歴史上では”さだいえ”と読まれることが多いですが、和歌を語るうえでは”ていか”と読めれることが多いです。)は平安末期から鎌倉初期までの時代を生きた歌人でありとても偉い役人です。詳しい解説はWIKIに譲るとして、百人一首を語るうえで重要だと思うのは、後鳥羽上皇に仕え承久の乱を経て定家の近親者が権力者になったことからさらに偉くなったということです。
定家は百人一首のほかに「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」を編纂しましたが、これは公的な和歌集でしたので政治的配慮から以前仕えた後鳥羽院・弟子であった順徳院(承久の乱の後でしたので二人とも流されていました。)両人の和歌を入れることができませんでした。
定家の息子の嫁の父に依頼され、私的な和歌集として編纂されたのがこの小倉百人一首です。もっともこの依頼は和歌集を編纂してくれ、という依頼ではなく、別荘に張る色紙を書いてくれ、という依頼でした。この別荘が小倉山にあったことから「小倉百人一首」と呼ばれるようになりました。
この依頼をいいことに定家は優れた歌人であった後鳥羽院・順徳院の歌を入れた百人一首を作成しました。定家自身も優れた歌人でありましたので、百句を選ぶくらい分けないのですが、どうも彼は字を書くのはあまり好きでなかったようです。
色紙を送るときも
もとより文字を書くことを知らず・・・極めて見苦しき事といえども、なまじいに染筆してこれを送る(明月記(定家の日記です)より)
と書いています。「なまじい」というのは無理してという意味です。相当自信がなかったようです。
この時定家が書いた色紙は現在でも残っているものがあり、東京国立博物館で見ることができます。そんなに悪筆だとは思いません。文化遺産オンラインでも見られますので、ぜひご覧ください。
蝉丸の読んだ第10番です。これも好きな句なので後ほどご紹介します。
では長くなりましたが、好きな句を列挙していこうと思います。
秋の田の かりほのいほの 苫をあらみ
わが衣手は つゆにぬれつつ(第1番)
秋の田んぼの近くにある稲が荒らされないように見張る庵(ぼろい小屋のこと)の天井の屋根が荒いので、衣手(服の袖)が濡れてしまう
いきなり1番です。
これは天智天皇の句とされていますが、天智天皇が読んだものではないようです。天智天皇が生きたころの歌風とは異なり、万葉集に詠み人知らずとして掲載されていることが根拠のようです。
まずこれの好きなところは上の句のリズムです。「秋の田の かりほのいほの 苫をあらみ」と”の”が続くので読んでいて気持ちがいいです。
また、「かりほ」は”刈穂”と”仮庵(かりいお)”がかかっています。
「秋の田の刈穂」なんて言うと黄金に輝く風になびいた景色が思い浮かびますが、その横では露に濡れた人が憂いているという歌です。シニカルで素敵ですね。
百人一首は恋の歌があまりにも多いです。百人一首に限らずほかの和歌集も恋の歌が多いので、恋がテーマではない句はそれだけでなんとなく好きになってしまいますね。
次です。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣干すてふ 天香久山(第2番)
春が終わり、夏が来たようです
天香久山には白い衣が干されているのだろうなぁ
第2句です。
全然進んでいません。
この歌の好きなところは情景であり背景であり技巧的な部分です。
詠み人は持統天皇です。有能冷血女帝として描かれることが多いですよね。
そんな女性が公務を行う藤原京から眺める天香久山(奈良県の大和三山の一つ、標高は153m)に夏の風物詩なのでしょう白い衣が干される姿を思い浮かべる。という歌です。
おや?と思いませんか?春が終わり夏が来たことは予想するまでもなく分かりますし、藤原京から天香久山を見ることができますので白い衣が干されているかも見えるでしょう。
なんで「夏きにけらし」「衣がほすてふ」と〜だろうといった書き振りになっているのでしょうか。
「夏きにけらし」は「夏+きにけり(来たんだなぁ)+らし(らしい)」です。
「衣ほうてふ」は「衣手+干しているんだろうなぁ(伝聞)」です。
もともとこの歌は万葉集に出ていたとき、「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」となっていました。
夏に関しては(来たようだ)のままですが白い衣については(干してある)と断定的な言いぶりですね。
これ、誰が変化させたかというと定家さんです。平安末期には断定的な物言いを避け、幽玄的な口調が美しいとされたので、定家が変えてしまったのです。
こういった価値観を押し付けて他人の(死者とはいえ)作品を改ざんするのは良しとできません。
とはいえ実はわたしは定家の編集後のほうが好みです。確かに万葉集の方は情景がより鮮明に浮かびますが、一度天香久山での風俗を考えてみましょう。
衣が干されているということは濡れたということですよね。濡れた理由は単純に洗濯をしたのかもしれませんが、天香久山には神様(すみません、名前を失念しました、調べてもわかりません〇〇明神だった気がします。)がいて、人に水をかけて誠か嘘か見破るという言い伝えがありました。
天香久山には天香久山神社がありますから、修行する乙女はこの神の水に衣を浸して濡らしたのでしょう。
これを乾かす風景こそ藤原京に夏の訪れを告げるきっかけだったのではないでしょうか。
定家もその当時の持統天皇に思いを馳せて改ざんしたと考えると歴史が詰まっている分後者のほうが素敵に思えませんか?
もしかしたら全然関係ないかもしれませんが、断定的な物言いを避けている歌ですのでなんとなく許してください。
今回は以上です。読んでいただきありがとうございます。
お疲れ様でした。
登山の話ですが、こないだ大倉から蛭ヶ岳までピストンしてきました。
森林限界は超えてませんが、稜線は素敵ですね。
山頂アンパンは潰れてませんでしたので、昼ごはんに食べた蛭ヶ岳山荘名物のひるカレーのデザートにいただきました。
最近全然オギノパンが食べられてません。
今週末は北岳に行く予定なので、絶対にオギノパンを持っていきたいです。